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千葉地方裁判所 昭和50年(ヨ)257号 判決

債権者

真行寺昭

松崎寿広

君塚孝

右三名訴訟代理人弁護士

高橋勲

(ほか五名)

債務者

東金液輸株式会社

右代表者代表取締役

榎本徹次

右訴訟代理人弁護士

成富安信

(ほか二名)

主文

一  債権者らが債務者の従業員である地位を仮に定める。

二  債務者は、債権者ら各自に対し、昭和五〇年七月以降毎月二五日限り金一三万円をそれぞれ仮に支払え。

三  申請費用は、債務者の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  債権者らの申請の趣旨

主文一、二項同旨

二  申請の趣旨に対する答弁

1  本件仮処分申請は、いずれもこれを却下する。

2  申請費用は、債権者らの負担とする。

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  債務者は、一般区域貨物自動車運送事業を業務とする会社であり、債権者真行寺昭(以下真行寺という)、同君塚孝(以下君塚という)は昭和四八年六月、同松崎寿広(以下松崎という)は昭和四六年五月にそれぞれ自動車運転者として債務者に入社し、会社業務に従事してきたものである。

2  債務者は、昭和五〇年六月一九日付で債権者らに対し、同月末日限り解雇(以下本件解雇という)する旨の意思表示をなし、同年七月以降その従業員たる地位を認めない。

3  債権者らと債務者との間には、賃金の最低保障額を一三万円とする定めがあり、債権者らの本件解雇当時における賃金は月額一三万円を下らず、毎月二五日がその支給日であった。

4  債権者らは、いずれも勤務の傍らに農業を営んでいる者であるが、農業のみでは債権者ら及びその家族の生計を維持していくことは不可能であり、本件解雇によって賃金の支払を受けることができず、その生活上著しい支障をきたしており、早急に本件仮処分がなされなければ回復し難い損害を被ることは明らかである。よって、申請の趣旨のとおりの裁判を求める。

二  申請の理由に対する答弁

1  申請の理由1及び2は認める。

2  同3のうち、賃金支給日が毎月二五日であることは認めるが、その余の事実は否認する。

3  同4のうち、債権者らがいずれも農業を営んでいることは認めるが、その余の事実は否認する。

債権者らは、専業農家であって、農業の合間に運転手として債務者に勤務しているもので、農業のみでも生計の維持に欠けるところはない。

三  抗弁

(業績不振による整理解雇)

債務者の債権者らに対する本件解雇の意思表示は「やむを得ない業務の都合によるとき」は従業員を解雇することができるという就業規則四七条一項七号に基づくものであって、いずれも次のとおり正当の理由がある。

1 本件解雇に至る経緯

(一) 債務者は、昭和四五年五月一二日、訴外内外液輸株式会社(以下内外液輸という)と同関東化学工業株式会社(以下関東化学という)との共同出資によって、液体化学製品の運送等一般区域貨物自動車運送業を営むことを目的として設立された資本金六〇〇万円の会社であり、内外液輸の下請運送を行なうものとして設立された。

(二) 債務者は、第一、第二期の決算ではそれぞれ赤字を重ねたが、第三期(昭和四七年四月一日~同四八年三月三一日)に至り漸く二七六万円の利益を計上するに至った。ところが、昭和四八年四月に保有車両が運行中大事故を起こし、その処理に要した事故費や同年末の所謂石油ショックなどの影響により、債務者の経営は次第に悪化し、第四期(昭和四八年四月一日~同四九年三月三一日)の決算では約一六六万円の欠損を計上するに至った。

(三) その後債務者は、昭和四九年七月頃ホルマリン運搬専用車三両につき需要家より契約を解除されるなどして窮状に陥ったが、同年夏頃訴外和幸酒造(以下和幸酒造という)との間に酒類運送契約を締結し、内外液輸の下請以外に独自の販路を見出した。そして、右契約における輸送総量は当初三万石以上と見込まれ、債務者の一年間の総売上高相当量であったため、右酒類輸送のための専用運搬車三両を新たに購入した。

右契約により債務者の売上の向上が予想され、現に昭和四九年九月から同年一二月までは当初の予定どおりの受注があり順調であった。しかし、昭和五〇年一月以降は清酒業界の減産及び消費の減退により和幸酒造からの受注が漸次減退し、化学品車両の需要減と相俟って、債務者の保有車両一六両のうち需要家が比較的安定した契約車両は五両のみとなり、その稼働率も半減し、同月以降六月迄は毎年平均一六〇万円を超える差損を生ずるに至った。

(四) その結果、第五期(昭和四九年四月一日~同五〇年三月三一日)の決算では約一五五万円の欠損を生じ、右決算後も和幸酒造との取引の失敗の影響が表面化してきて、第六期(昭和五〇年四月一日~同五一年三月三一日)の決算では約七三九万円の欠損を生ずるに至った。

2 本件解雇の必要性

債務者の営む液体輸送は、その運搬具である車両がその積載品によって規定された専用のタンクローリー車であり、特定の積載品についての受注ないし受注見通しによって、初めてその用途に応じた専用車両が設備されるという性質をもつものであるため、内外液輸からの受注が減少した場合、その下請会社である債務者が独自に新たな販路を開拓することは殆んど不可能であるうえ、石油ショックによる受注減や和幸酒造との取引の破綻などの原因が重なり、業績向上が全く期待できない状態となったため、債務者は早急な合理化(人員整理)の必要に迫られた。

3 本件解雇基準の合理性

(一) 債務者は、人員合理化に当っては、これを会社の業績に対する寄与貢献度の大小に基づいて行なうのが合理的であり、出勤成績が寄与貢献度を示す最も客観的な数字であると考え、第一順位が臨時雇の者、第二順位が過去一年間に農事の為一か月以上休んだ者という整理基準を設定した。債権者らは、その他の従業員に比べ欠勤が多く、出勤成績の不良が顕著で右第二順位に該当する。即ち、債権者らの欠勤状況は、昭和四九年一年間に真行寺四六・五日、松崎五九・五日、君塚四〇日であり、また同五〇年一月から六月迄では真行寺三二・五日、松崎二二日、君塚二三日であり、これらはいずれも有給休暇を別に消化した上での数値であり、かつ農業従事のための欠勤であるから、債務者の行った人選も合理的である。

(二) このような事情で、債務者は、従業員約二〇名中臨時雇の者二名及び債権者らに対し、就業規則四七条一項七号に規定する解雇事由により解雇の意思表示をした。

四  抗弁に対する認否

1(一)  抗弁1(一)のうち、設立年月日、設立目的及び資本金額については認めるが、その余の事実は不知。

(二)  同1(二)のうち第四期の決算で約一六六万円の欠損を生じたことは認めるが、その余の事実は不知。

(三)  同1(三)は不知。

(四)  同1(四)のうち、第五期の決算で約一五五万円の欠損を生じたことは認める。

2  同2は否認する。

解雇前の第五期決算における債務者の繰越欠損は、僅か七七万円にすぎないし、債務者の売上も昭和五〇年一月ないし三月に比し、右決算後の同年四月ないし六月は確実に伸びており、また余剰車両を処分すれば債権者らを解雇することによる経費削減額も十分補えたものであって、人員整理がなければ企業の維持存続が危機に瀕するとは到底いえない。

現に債務者は、昭和五〇年一〇月には無事故手当一万円を基準内賃金に繰り入れることにより一か月当り五、六万円の実質的賃上げをなし、同年暮には一律一八万円のボーナスを支給し、昭和五一年春闘では一三万円の最低保障金を一五万円にしたほか、家族手当を含め一万円の賃上げをなし、更に同年七月には夏季一時金として、一律二一万円を支給している。

また、債務者は、本件解雇に先立ち、実質的な本社ともいうべき内外液輸への配転、一時帰休、賃金カット、希望退職の募集などを全く実施せず、経営危機の打開として検討されたのは人員整理のみであったし、経営状態や解雇の必要性、その基準と実施方法などについて債権者らへの事前協議も全くなかった。殊に、本件解雇後の昭和五〇年八月に三名の従業員が希望退職しており、事前に希望退職者を募っていたら債権者らの解雇は免れたはずである。

3(一)  同3(一)は否認する。

(二)  同3(二)は認める。

五  再抗弁

1  不当労働行為

(一) 債権者らが入社した当時、会社には労働組合その他の労働者の組織がなく労使関係が円滑でなかったため、その改善と配車の適正化その他の労働条件の向上を目指し、債権者らが中心となって昭和四八年一〇月一日に東金液輸乗務員会(以下乗務員会という)を結成した。そして、真行寺は乗務員会会長、松崎は同副会長に就任し、種々の労働条件改善のため努力し、大きな成果を上げてきた。

なお、債務者は、真行寺の乗務員会活動を知り、真行寺に対する正式採用を故意に延期し、真行寺の申出により昭和四八年一〇月末頃になって漸くその手続をとった。

(二) 乗務員会は、昭和五〇年三月の春闘において、債務者に対し賃上げ要求等をしたが、債務者の回答に満足できず、同年四月二二日から同月二四日までストライキ体制に入った。右闘争は、結局昭和五〇年四月二四日、乗務員会が債務者の右回答を受諾することで終結した。

(三) 債務者の当時の専務取締役今津定夫(以下今津という)は、ストライキに突入する前の団体交渉において、真行寺らが乗務員会は全国自動車運輸労働組合(以下全自運という)の指導を受けることもある旨申し向けると、全自運など作るなら会社をつぶすなどの言動を発した。

(四) 前記闘争の過程で、乗務員会の会員間に乗務員会を正式に労働組合とし、全自運傘下の労働組合としようという気運が高まった。

(五) 債権者らは、組合結成について、内外液輸の従業員で組織されている全自運内外液輸分会の協力を得ることを確認し、昭和五〇年六月一六日、会社の乗務員控室において、ほぼ乗務員全員で、同月二二日に成東駅前の寿司屋「すし邦」において組合結成準備会を開くことを決定した。ところが、その直後の昭和五〇年六月一九日、突然債務者は債権者らを解雇する旨の意思表示をなした。

(六) 債権者らは、昭和五〇年六月二二日に予定どおり組合結成準備会を開いたが、同日夜、今津及び当時の配車係長大木清(以下大木という)は君塚宅を訪れ、君塚の父である君塚鉄三(以下鉄三という)に対し「本件解雇は労働組合結成の首謀者である真行寺の解雇を目的としたものであるが、解雇を理由あらしめる為に、真行寺と同じく農業を営む松崎及び君塚も解雇せざるを得なかった」旨述べている。

(七) 昭和五〇年六月二五日、債権者らを含む八名は、債務者に対し全自運東金液輸支部の結成を通告した。

(八) 債務者は、昭和五〇年六月二七日頃全自運傘下外の東金液輸労働組合を結成した。

以上の事実によれば、本件解雇は、債権者らの組合結成の動きを恐れ、これを嫌悪した債務者が、債権者らを排除せんとしてなした不当労働行為による解雇であることは明らかであるから、本件解雇は労組法七条一号に違反し無効である。

2  解雇権の濫用

仮に右主張が認められないとしても、本件解雇は次のとおり解雇権の濫用であるから無効である。

(一) 整理解雇をするについては、企業の維持存続が危機に瀕する程度に差し迫った必要性がなければならないが、本件解雇の場合そのような必要性はなかった。

(二) 債務者は、従業員の配置転換や一時帰休制あるいは希望退職者の募集等労働者にとって解雇よりも苦痛の少ない方策によって余剰労働力を吸収すべきであるのに、かかる努力を何らしなかった。

(三) 債務者は、債権者らに対し事態を説明して了解を求め、人員整理の時期、方法等について債権者らの納得が得られるようにすべきであるのに、かかる努力をしなかった。

(四) 整理基準及びそれに基づく人選に合理性が認められない。

六  再抗弁に対する認否

1(一)  再抗弁1(一)のうち、債権者らが入社した当時、労働組合その他の労働者の組織がなかったこと、昭和四八年一〇月に乗務員会が結成されたことは認めるがその余の事実は否認する。

真行寺の正式採用が延びたのは、本人の正式採用延期の要請があったからであり、債務者が故意にその手続を遅らせたわけではない。

(二)  同1(二)は認める。

(三)  同1(三)及び(四)は否認する。

(四)  同1(五)のうち、債務者が、昭和五〇年六月一九日、債権者らを解雇する旨の意思表示をなしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(五)  同1(六)のうち、昭和五〇年六月二二日、今津及び大木が君塚宅を訪れ鉄三に会ったことは認めるが、その余の事実は不知。

債務者は、昭和五〇年六月二五日まで債権者らの組合結成の動きがあることは全く知らなかった。君塚宅訪問は、君塚が解雇されたことを親に言いづらいということを今津が聞き、鉄三とは古くからの知り合いでもあるため、上司として本件解雇がやむを得ないものであることを鉄三に説明し、君塚の苦衷を幾分でも柔らげようとする好意からこれをなしたものである。

(六)  同1(七)及び(八)は認める。

2  同2は争う。

第三証拠(略)

理由

一  申請の理由1(債務者と債権者らとの雇用関係など)及び2(債務者が債権者らに対して解雇の意思表示をしたことなど)の各事実は当事者間に争いがない。

二  整理解雇の必要性について

1  本件解雇に至る経緯並びにその後の推移

(証拠略)を総合すると以下の事実が認められ、債権者真行寺昭本人の供述のうち右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を覆すに足りる疎明はない。

(一)  債務者は、昭和四五年五月一二日、輸送コストの低減化を図るために内外液輸(なお、債務者の役員は一名を除き全て内外液輸の役員を兼務している)と関東化学(その代表者は債務者代表者に同じ)との共同出資によって、ホルマリン、アセトン、アルコールの運送等一般区域貨物自動車運送を営むことを目的として設立された資本金六〇〇万円の会社であって、現実には内外液輸からの受注によって内外液輸の下請運送のみを行なうものとして発足した。

(二)  債務者は、第一、第二期の決算では僅かの赤字を重ねたが、漸く第三期(昭和四七年四月一日~同四八年三月三一日)に至り約二七六万円の利益を計上して経営も軌道に乗り出し、車両及び運転手等人的物的設備の拡充を図り、運送会社として安定した利益を生み出す基盤が成立した。ところが、その後業務中の保有車両に大事故が発生し、その処理に要した事故費(約三二八万円)の支出や昭和四八年末の石油ショックによってもたらされた日本経済の混乱と不況の影響により、債務者の唯一の受注先である内外液輸からの受注が減少して債務者の経営は悪化し、第四期(昭和四八年四月一日~同四九年三日三一日)の決算では約一六六万円の欠損を生じる結果に終り不振が続いた。

(三)  債務者は、昭和四九年七月頃ホルマリン運搬専用のチャーター車三両につき運送契約を解除されたため、内外液輸の下請以外に独自の販路を見出すべく努力した結果、その頃和幸酒造との間に大口の酒類運送契約を締結することに成功し、右契約における予定輸送総量は当初三万石以上と見込まれ、経営の立ち直りも予想された。

当時債務者は、一三両の車両を保有していたが(一般貨物車……一号車、メタノール用タンクローリー車……二一号車、モノマ用タンクローリー車……五五、五六、五七、五九、六〇号車、酒・アルコール用タンクローリー車……五一、五二、五三、六一、六二、六三号車)、債務者の運送事業の免許は荷主などによって限定された限定免許であるためなどから、債務者は和幸酒造との取引用として新たに酒・アルコール用タンクローリー車三両(六五、六六、六七号車)を購入した。右購入に要した費用は、六五号車が約一一〇〇万円、六六号車が約一〇一五万円、六七号車が約一〇〇〇万円で、右代金は手形による割賦払とすることにした。

(四)  和幸酒造との取引は昭和四九年九月から開始され、同月から一二月迄は当初の予定どおりの受注があって車両稼働率も非常に好転し経営も順調であったところ、昭和五〇年一月以後和幸酒造からの受注が予定より大きく減少したことと、継続的収入の確実なチャーター車が同四九年一一月迄は八両であったところ、同年一二月に五一号車の、昭和五〇年四月に五六号車の、同年六月に五三号車の各チャーター契約が解除されたことなどのために、同年一月からは毎月欠損を生じて経営は再び苦しくなり、昭和四八年に購入したタンクローリー車五両(二一、五七、五九、六一、六三号車、代金合計二七〇〇ないし二八〇〇万円)及び和幸酒造用の前記三両の各車両の割賦代金支払(なお、右割賦代金の支払は多い月で合計約三八〇万円にも達することがあった)にも窮する状態となった。

即ち、車両稼働率は、昭和五〇年一月は五五%であったが、同年三月は四六%となって五〇%を割り、以後四月四八%、五月四九%、六月四三・五%と不振な状態が続き不就労人員数も多くなり、また運送収入は、同年一月が約八〇六万円、二月が約八〇八万円、三月が約七八七万円、四月が約九二四万円、五月が約一〇二七万円、六月が約八〇〇万円、七月が約七四二万円と五月頃迄は売上が伸びてはいたものの、債務者で取扱えない製品の他業者への下請契約による売上げも含まれていたため、下請業者に対する支払いなど運送経費も上昇し、運送経費は、同年一月が約八一六万円、二月が約九三九万円、三月が約一〇一三万円、四月が約九七三万円、五月が約一〇九三万円、六月が約九三四万円、七月が約一一四三万円と次第に運送収入を超過する傾向が目立つようになり、同年一月は約一〇万円、二月は約一三〇万円、三月は約二二六万円、四月は約四九万円、五月は約六四万円、六月は約一三三万円、七月は約四〇〇万円と差損の額も大きくなっていった。

(五)  そして、債務者は、第五期(昭和四九年四月一日~同五〇年三月三一日)の決算で約一五五万円の欠損を生じ、その後も内外液輸及び和幸酒造からの注文が減少したため、昭和五〇年三月頃から経営見通しが困難となった。

債務者の実際の運営は、平常時においては上村、今津両取締役が担当し、前債務者代表者今津祐(以下前債務者代表者という)は右両名から必要に応じて経営報告を受けたりするに止まるという状態であったが、こうした事態に直面して、昭和五〇年六月一〇日に上村、今津、債務者代表者の三名が業務会議を開いて協議した結果、運営資金不足のため業務縮小を図らなければ手形の不渡りと倒産も免れない状態になると判断し、従業員に経営の近況を理解させること、臨時雇を含めて五名程度の人員整理の必要があること及び遊休車両売却の努力をすることなどの方針を一応決定した。

(六)  そして、上村は、翌一一日、当時債務者に勤務していた臨時雇の者一名を含む運転手二〇名の従業員に対する経営説明会を開き、口頭で会社の近況を告げるとともに、経営不振の大筋を説明し、かつ、最悪の場合、緊急事態に入らざるを得ないので、従業員の理解と協力を求める旨の文書を従業員各自に交付した。しかるところ、債務者は、昭和五〇年六月一九日に突然、整理基準を第一順位が臨時雇の者、第二順位が過去一年間に農事の為一か月以上休んだ者とし、第一順位に当る者一人と第二順位に当る債権者ら計四名の者に対し、同月末日限りいずれも就業規則四七条一項七号(「やむを得ない業務の都合によるとき」)の規定に基づき解雇する旨通告した。

(七)  ところで、債務者は、その保有車両が積載品等によって規定された専用のタンクローリーであるという特殊性を有するため、遊休車両の売却もうまくできず、いよいよ資金繰りに窮し、昭和五〇年六月分の従業員の給与支払の資金は内外液輸からの借金で都合をつけたが、内外液輸からの借入金が約二〇〇万円、関東化学からの借入金が一〇〇〇万円を超過するというような状態となり、燃料費等の現金支払はこれを手形支払に切り替えてもらったりするなどの緊急措置を講じて漸く右六月の危機を乗り越えた。

(八)  なお、和幸酒造からの受注は昭和五〇年五月で終わり、その後内外液輸からの受注も減少して債務者の経営は苦しくなった為、債務者の業務及び経営面を指導してきた実質的親会社ともいうべき内外液輸が同年一一月頃から債務者の経営を一切肩代わりすることとなった。そして債務者は、第六期(昭和五〇年四月一日~同五一年三月三一日)の決算では約七三九万円の欠損を生じ、繰越欠損は一気に資本金額六〇〇万円を上回る約八一六万円となった。

2  整理解雇の必要性

以上1(一)ないし(八)で認定の事実によると、債務者は、昭和四九年一二月頃迄は経営もなんとか順調であったが、翌同五〇年一月頃からは和幸酒造との取引の破綻や一般的な不況の影響で売上が諸経費に比して伸びず、それに伴い欠損も増加の傾向となり、同年六月頃になると給料の支払もできなくなるほどに資金繰りが困難となり、同月以後の受注の好転も到底期待しえず、本件解雇当時において、会社存続の為には人員整理等の規模縮小による経営合理化によって経営を立て直す必要に迫られていたものと一応いえる。

三  本件解雇の当否について(不当労働行為の成否)

1  債権者らの組合結成に向けての活動の経過

債権者らが入社した当時、債務者には労働組合その他の労働者の組織がなく、昭和四八年一〇月に至り乗務員会が発足したことは当事者間に争いがなく、(証拠略)を総合すれば以下の事実が認められ、(人証略)のうち右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を覆すに足りる疎明はない。

(一)  松崎は昭和四六年五月、真行寺及び君塚は同四八年六月にそれぞれ債務者に自動車運転者として入社したが、同年の夏から秋にかけて仕事が忙しくなり、配車の仕方が計画的でないことも原因して、従前は一週間に一回位であったワンマンの長距離運行が週二、三回となり、それにつれて残業時間も非常に多くなった。従来は乗務員が個々的に債務者に労働条件改善の要望を出したりしていたが、債務者は右要求に答えようとしなかっため、昭和四八年八月下旬頃から乗務員の組織を結成することを乗務員間で話し合い、債権者らが中心となって同年一〇月一日にほぼ乗務員全員で乗務員会を結成し、真行寺は乗務員会会長、松崎は副会長に就いた。

(二)  乗務員会は、真行寺を活動の中心として、昭和四九年二月頃から労働条件の改善を求めて債務者と度々交渉の機会をもち、同年末頃迄にワンマン運行距離の制限、配車の適正化、食事代の増額、長距離運行後の休養等の点について労働条件改善の成果を獲得した。

(三)  昭和五〇年春闘で乗務員会は、同年三月一二日、債務者に対し、基本給の一律三万円引き上げと最低保障一五万円などを要求したが、債務者は最低保障を一三万円などとする回答をなしたので、これを不満とした乗務員会は、同月二二日から二四日まで三日間にわたりストライキを行ない、結局、乗務員会側が債務者の右回答を受諾することでストライキは終結した。

(四)  乗務員会の会員約二〇名は、前記ストライキにおいて強力な指導者を欠き事態をうまく収拾できなかったことを反省し、従来より指導を受けていた全自運神奈川地方本部内外液輸支部に働きかけて全自運傘下の労働組合を結成してはどうかと考え、昭和五〇年六月一六日、同月二二日に具体的な指導をしてくれるオルグを呼んで組合結成準備の為の勉強会を催すことを決定し、同月二二日、右内外液輸支部の執行部から三名と全自運東京地方本部から二名の指導者を招いて勉強会を開き、同日乗務員会を解散することを確認した。しかし、全自運傘下の労働組合を結成することについては全員の同意が得られず、結局債権者らを含む八名のみが組合員となって労働組合を結成し、昭和五〇年六月二五日、債務者に対し正式に全自運東金液輸支部の結成を通告した。

(五)  ところで、前記のストライキ前の団体交渉で、事実上上村と二人で会社事務全般を処理している今津は、債権者らが全自運傘下の組合などを作るのであれば、会社をつぶすことも辞さない旨の発言をしている。

(六)  そして、債務者は、昭和五〇年六月一一日の経営説明会の後には何ら乗務員に対して経営状態や解雇の必要性、その基準及び実施方法などを説明する機会をもつことなく、債権者らが組合結成準備の為の勉強会の日を決定した同月一六日からその当日である同月二二日の間である同月一九日に突然債権者らを解雇する旨の通告をなした。

(七)  さらに、昭和五〇年六月二二日午後八時半頃、今津は大木と共に知人である君塚の父鉄三を訪問し、君塚を解雇するに至った理由を、組合結成の首謀者である真行寺を解雇するための便法措置である旨説明したうえ、真行寺よりも君塚の方が若くて真面目で勤務ぶりが良いこと、会社の仕事がまた忙しくなった場合は真行寺よりも君塚の方を早く雇い入れることなどを述べて、君塚の解雇について鉄三の了解を得ようとした。

(八)  債務者は、昭和五〇年六月二七日業務縮小に伴う機構改正として、大木配車係長ほか三名の職制を解いて、平の従業員としたところ、翌七月一二日に至り、右大木らが中心となって債権者らの労働組合とは別個の東金液輸労働組合が結成された。

2  不当労働行為の成立

右認定の各事実を踏まえて検討するに、前記二2で認定のとおり、債務者は本件解雇当時経営が苦しく、人員整理等による経営合理化を図り、経営を立て直す必要に迫られていたことは一応否定しえないが、以下(一)ないし(三)に述べるような理由から、債権者らに対する本件解雇は、右の経営立て直しを直接の目的としてなされたものとは解しえず、かえって債権者らによる組合結成の動きを恐れ、これを嫌悪した債務者が、債権者らを企業外に排除することを直接の目的としてなしたものであると解され、本件解雇は不当労働行為(労組法七条一号)というべきである。

(一)  一般に、企業が経営困難となった場合、これを打開する為にどのような方策をとるかは原則として経営者の自由に委ねられており、本件でも債務者が人員整理等による経営合理化を図ろうとしたことは止むをえなかったものとも考えられる。しかし、債務者の経営が危機に立ち至った原因は、経済一般の不景気によるところもあったにせよ、債務者が独自に販路を開拓した和幸酒造との取引における見通しの甘さが第一次的なものであり、債務者の経営の拙劣さが危機を招いたともいえるのであり、かつ解雇は労働者の生活の基盤を破壊する結果を生じかねないものであるから、債務者が経営合理化を実行するに当っては、従業員に対し事態を説明して了解を求め、人員整理の時期、規模、方法等について納得が得られるよう努力し、また一時帰休制や希望退職の募集等解雇以外に合理化の目的を達しうる方法がある場合にはそのような措置を講じ、仮に解雇に踏み切るにしても整理基準とそれに基づく人選の仕方は合理的なものとすべきであると解される。

(1) ところが債務者は、昭和五〇年六月一一日、上村において従業員に対し、経営状態の大筋を一度説明したに止まるし、本来ならば債務者は、現在及び将来における収支見通しに照らして企業採算上何人の剰員が発生しているかをまず確定し、然る後に具体的人選を行なうべきであるのに、前記二1で認定の本件解雇に至る経緯から判断する限り、債務者はこのような作業を行なうことなく、単に債務者主張の整理基準を適用して臨時雇の者一名及び債権者らを解雇対象者としたものであり、解雇対象者四名という数字は確たる根拠に基づくものではなく、真にそれだけの剰員が発生していたか否か疑問である。

(2) また、(人証略)によれば、昭和五〇年六月に約一五〇万円の資金不足が予想されたため、同月一〇日の業務会議で、五名解雇すれば従業員一人当りの賃金は約一五万円であったので月七五万円程度の人件費の削減ができ、これに遊休車両の売却による収入を合わせれば右不足分が補えるものと決定したことが認められるが、同証人の証言から遊休車両三両をそれぞれ約五〇万円で売却することを右業務会議の席で考慮したことも認められ、右車両売却の努力を十分にやっておれば従業員の解雇の必要性がなかったのではないかとも考えられ、債務者は債権者らを解雇しなければ採算上如何なる欠損を生じ、この欠損が会社全体の経営収支に如何なる影響を及ぼすかなどについて真剣に検討したのかも疑問である。

(3) 更に、(人証略)によれば、債権者らが解雇された僅か二か月後の昭和五〇年八月に三名の運転手が希望退職していることが認められるので、債務者が事前に希望退職者を募っておれば債権者らの解雇には至らなかったとも考えられるところ、債務者は前記三1(六)で認定のとおり一時帰休制や希望退職者の募集等労働者にとって苦痛の少ない手段を講じて解雇を避ける努力を全くせず、当初から債権者らの指名解雇の方針に固執していたことが明らかである。

(4) 使用者は、整理基準をたて剰員として整理解雇の対象となる労働者を選定するに当り、原則として剰員選定の自由を有すると解されるが、右自由も完全な自由ではなく、法律の規定に違反してはならないほか、整理解雇の目的からする内的制約(例えば、客観的に判断して経営改善に寄与することの少ない労働者をまず剰員として選定すべきであること)にも服するものと解される。

これを本件についてみると、債権者らが該当する債務者の設定した第二順位の整理基準(「過去一年間に農事の為に一か月以上休んだ者」)は、右のいずれの点から判断しても不当というべきである。即ち、(人証略)によれば、右基準は農業をやっていれば解雇されても差し当り生活に困ることはないであろうということを考えて設定されたものであること及び債権者らはいずれも農業にも従事し、年間有給休暇一二日のほか四〇ないし五〇日の休暇をとっていることが認められるが、他方、(証拠略)を総合すれば、債権者らは農業収入のみでは生活が苦しい為債務者に入社したこと、真行寺は採用面接の際に今津から農繁期には休んでもよいとの許可を得ていること、債権者らはいずれも現にほぼ三月から五月、八月下旬から九月にかけての農繁期に農作業の為休暇をとっていること、会社の仕事は三月から五月にかけては比較的暇であることなどが認められ、更に債権者らがその技能、勤務成績、出勤率等につき他の従業員と比較して特に劣悪であったことを認むべき疎明はなく、かえって(人証略)によれば、君塚については非常に真面目で勤務態度も良いことが認められ、以上の事実に照らせば、債務者の設定した第二順位の整理基準の要件のうち「農事の為」の休暇取得者である点は、債務者が採用面接の際農繁期における休暇付与の一応の承認をしていること及び債権者らは農業に従事しているがその収入のみでは生活が苦しく、解雇された場合他の従業員よりも生活に窮しないとは一概に言えないのであるから何故「農事」に限定する必要があるのか必ずしも合理的な理由が見い出せないことなどの理由により、また同じく「一か月以上」の休暇取得者である点も何故「一か月以上」としたのかその点についての疎明が不十分であることなどの理由により、いずれも客観的・合理的なものということをえず、出勤成績が寄与貢献度を示す最も客観的な数字であるとして前記第二順位の整理基準を債務者が設定したことは不当であり、むしろ右整理基準は、債権者らを解雇する為債権者ら三名に適合するように「農事」及び「一か月以上の休暇」という要件を取り入れて定立されたものと推認される。

(二)  なお債務者は、昭和五〇年六月二五日に組合結成の通告がなされるまで債権者らの組合結成に向けての活動は全く知らず、債権者らの右活動を阻害せんとの意図はなかったと主張し、(人証略)はいずれもこれに沿う証言をしているが、前記三1(一)ないし(八)の各認定事実に照らして右証言はたやすく措信することができない。

(三)  以上三1(一)ないし(八)及び2(一)(1)ないし(4)、(二)で認定のとおり、債権者らは昭和四九年二月頃から乗務員会の中心となって債務者に労働条件の改善を求めて活動してきたこと、同五〇年春闘では乗務員会で債務者に賃上げ等を求め初めて三日間のストライキを行ない債務者との対立が激化したこと、同年六月一六日に乗務員会で同月二二日に組合結成準備の為の勉強会を開くことを決定した直後の同月一九日に債務者が債権者らを解雇する旨の意思表示をなしたこと、整理基準の第一順位に当る臨時雇の者は僅か一名にすぎず、合理化の中心は債権者ら三名の解雇にあること、債務者の定立した整理基準が客観的合理的なものといえないうえ、債務者は債権者らに対する説得や希望退職を募るなどの努力をせず、当初から債権者らを指名解雇する方針であったと認められること、同月二二日夜には解雇決定に関与した今津自身が君塚から頼まれもしないのに君塚宅を訪れ君塚の父親を説得するという不可解な行動をとっていること、債務者の旧職制らが中心となって同月二七日に債権者らとは別個の労働組合を結成したことなどの諸点に照らせば、債務者は、債権者らによる労働組合結成の動きを嫌悪し、これを挫折させることを直接の目的として、人員整理に藉口し本件解雇を行なったものと推認することができる。

従って、債務者において経営合理化を必要とする情勢にあったとしても、本件解雇は、通常の整理解雇としての要件にも欠けるうえ、債権者らが組合結成の為活動するのを嫌悪し、債権者らを企業外に排除することを直接の目的としてなされたものであり、就業規則に規定の「やむを得ない業務の都合によるとき」という解雇事由に基づくものとはいえないわけであるから、右情勢の存在は本件解雇の違法性を左右する理由とはなしえないものといわねばならない。

よって、本件解雇は不当労働行為として無効である。

四  賃金仮払申請について

毎月二五日が債権者らの賃金支給日であることは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、債権者らは解雇後給料、賞与等の支払を一切受けていないこと及び債権者らは農繁期に休暇をとる為賃金の額は年間を通じて一定してはいないが、解雇前の一年間、即ち昭和四九年七月分より同五〇年六月分までの給料及び賞与等の総支給額を平均すれば、いずれも一か月一三万円を下らない収入を得ていたことが認められ、かつ前記三1(三)で認定のとおり、債務者は同年四月以降は一か月の賃金最低保障額を一三万円とし、これを実施していたことも明らかである。

五  保全の必要性

以上のとおり、債権者らはいずれも現になお債務者の従業員たる地位を保有し、債務者に対し賃金支払請求権を有するものであるが、(証拠略)を総合すれば、真行寺は債務者に入社以前から農業も営んでいるが、農業収入のみでは生活が苦しく主に債務者から支払を受ける現金収入に依存して生計を維持してきたこと、松崎及び君塚は両親の営む農業を農繁期に手伝う程度であって農業収入はないこと及び債権者らは本件解雇後なんとか別途収入を得て生活を維持しているものの、本件解雇により安定した収入の途を失い生活に困っていることなどが認められ、本件仮処分による保全の必要性を認めるのが相当である。

六  結論

よって、債権者らの債務者従業員たる地位を仮に定め、かつ昭和五〇年七月以降毎月二五日限り前記認定の賃金相当額を仮に支払うよう求める債権者らの本件仮処分申請はいずれも理由があるので、これを認容することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 東原清彦 裁判官 井上繁規 裁判長裁判官渡辺桂二は、転任につき署名捺印することができない。裁判官 東原清彦)

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